
感情は、出来事に対してではなく、出来事に対する自分の評価によって起きている
こんにちは。株式会社ピグマ、代表兼すごい会議マネージメントコーチの太田智文です。
#トップの画像の書籍は、今回の考え方を知るに至った、脳との効果的な使い方の示唆に溢れた良書です。
我が家の小6の娘が、今年、中学校受験をします。
ちなみに、千葉県の中学入試は1月、東京は2月に開催されます。
#娘は、塾の先生のアドバイスを信じ、東京の某中学校を本命にして、千葉の学校は受験自体に慣れるために受けるという作戦にしたとのこと。
試験前々日に、娘と会話する機会があったので、
“本来の力が発揮されれば最良の結果が手に入る”
“そのために緊張しすぎず、リラックスしすぎずの状態でいるが大切”
“そのために、試験前に深呼吸をすること”
“深呼吸は、7秒間で息を吐いて、そして鼻から息をゆっくり大きく吸う。これを7回やること(おおよそ1分間)”
といった会話をして、娘からも「わかった!」という力強い言葉があり
さて、ついに今週19日に、1校目の試験がありました。
午前に試験が終わり、試験後の本人の言葉としては
「普段通りできた。緊張もしなかった。」
とのこと。(嫁と娘の会話より)
この話を聞いた時に、
私の中の心の反応として
「受かっただろうな」
と正直思いました。
さて、結果発表の翌日20日。
当日、嫁が意気揚々と、前日受験をした中学校に、合格書類をもらうために
結果を見に行ったところ、掲示板に、あると思われる受験番号がない。。。
そう。落ちてました。
「ガビーン(心の声)」
嫁は、1分ほどその場を動けなかったぐらいショックだったそうです。
一方、Lineで「落ちた」という結果を知った私の反応は
「へぇ、そうなんだ。」でした。
結果は結果として、まぁ仕方がない。
本命前に練習ができたという考えもできる。
一方で懸念したのは、落ちた本人である娘が、結果に対して、大きく凹んだり、自身を低く見積もったりすること、でした。
で、当の娘本人の反応はどうだったかと言うと
“まったく落ち込んでない”
とのこと。(嫁談)
どう感じてるのかを聞くと
「受かったらラッキー、落ちてて普通と思ってる。だから、今回も特に何も感じてない。」とのこと。
う〜ん、そういう考え方もあるのね。
今回の出来事から・・・
起こった出来事は、「娘が試験を受けて落ちた」だったのですが、それに対して、3者3様の捉え方があるな、と。
嫁・・・落ちた。→ダメだ。→悲しい。残念。
私・・・落ちた。→次の試験に向けて学びになった。ある意味よかった。
娘・・・落ちた。→?
“試験を受けて落ちた“こと自体に、悲観したり落胆しているのではなく
“試験を受けて落ちた”ことに対して、受けて側の中で反応や評価(よかった、悪かった)があって、その反応や評価によって、情動(嬉しい、悲しい、悔しいetc)が起こってるのだなと。
ある意味、
全ての出来事に意味はなし。
その出来事に対する自身の反応や評価で、気分がよくなったり、気分が落ち込んだりしてる。
であれば
気分よく生きるからには、起こった出来事に対して、効果的な反応をしてくことが選択できる。
この”起こった出来事に対して、自分の反応を選択できる”と気づけたことが、とっても大きな発見だった最近の我が家の出来事でした。
娘よ、気づかせてくれてありがとう。ベストを尽くせ。