経営の桁を変えるには?
旭酒造株式会社 桜井博志会長インタビュー(1/2)

経営にブレイクスルーが起これば、売上の桁が変わる。

この連載では、現実に桁を変えた経営者にインタビューし、どのように桁を変えたのか、

そのプロセスでいかなる課題に直面し、どう向き合ってどう乗り越えたかを解き明かしてゆく。

■ 旭酒造株式会社(獺祭の蔵元)

想い:地酒、純米大吟醸「獺祭」の製造販売を行っています。酔うため、売るための酒ではなく、味わう酒を求めて、真に美味しい酒を目指しています。
設立:昭和23年1月23日
資本金1000万円
業務内容:1. 酒類製造および販売
     2. 醤油製造及び販売
     3. レストランの経営
     4. 前各号に付帯する一切の業務
URL:https://www.asahishuzo.ne.jp


第一部:どのようにして獺祭が生まれたのか?
〜突然の社長就任。安売り競争と地元で負け続けた結果から学んだこと〜

「社長就任当時のことを教えてください」

社長になった時と言うのは1984年ですからもう35年位前になります。

その当時は“第一次焼酎ブーム”というのがありまして、弊社はその中でも第一次焼酎ブームの最後のパンチをもらったような状況で、酒蔵同士の販売競争で負けに負け続けて、地元の県内市場を中心に、1級2級のお酒を売る会社だったんですね。常識的にマーケットの中で言うと生き残っていけないような状況の中で、私は会社の後を継いだんです。

就任当初はそれまでのやり方を継承し、これまで以上に頑張るという形で、何でもやってみました。

「どんな改革をされたんですか?」

まずはとにかく値引き競争に飛び込んでいきましたね。
今のままじゃ売上が上がらないわけですから、なんとか売上を上げるということで、前年比85%の酒蔵の売上を上げようということで経費をバンバン使っていくわけです。
そうするとですね、就任翌年には前年度比101%位まで売上は戻りましたね。

「それはすごいですね」

でもそれだけ経費をバンバン使ってますからね。
利益が上がらない。売上は上がるわけですが、それでもせいぜい101%ぐらいなものです。上がった売上が150%とか180%になるのであればこの方向でよかったんですが。

で、この方法はまずダメだと、わかりましたね。

「やってみたから、わかったんですね。」

そうですね。やったからわかったわけです。

他にも、いろんな商品を出していきました。例えば、紙パック入りの商品や、純米大吟醸酒もいろんなバリエーションの中の1つとして造ったわけですね。

純米大吟醸を造ってみて、やっぱり高級品は高いお値段いただくので品質的にも良いものだし、モノを造って売る者としては、安い物を造って売るより満足感がありますよね。

しかも、その純米大吟醸に関しては売上がちょっとずつちょっとずつ伸びていったんですね。

「その時のお酒は獺祭だったのですか?」

いいえ。“旭富士”と言う、父の代から引き継いだ名前そのままのお酒でした。

「いろいろチャレンジをされてるのですね。会長の3年前の講演では、1999年に地ビールレストランを出店された話もありましたね。」

あー、あのレストランはすぐに失敗しましたね(笑)。

チャレンジした結果、はかなく散ったんですけれども、ただ、わかったこともあってね。

やっぱり失敗するにしても、中途半端に収束させてしまうと新たな展開ができないんですよ。

「なるほどですね。」

それと、こだわらないこと。

経営者としては、最後のところで言えば、資金繰りが全てなんですよ。少々のピンチがあろうとリスクをかけて投資をしても、この資金繰りが大事になってくるわけで、ならなければ何とかなる。だから、こだわりすぎると言うのは非常に危ない。

〜東京進出、獺祭とのキセキの出逢い〜

「地元の山口から東京に進出された背景を教えてください。」

理由は簡単で、1990年頃、新しいお酒が地元の山口で全然売れなかったんですよ。

おそらく地元で売れていたら、まず今は無いですね。想像するに山口県で2番手が3番手位で、それなりに酒は一生懸命頑張って作ってる、みたいな酒蔵になってたんじゃないですかね。

「地元で売れなかったことが今を作っているということなのですね。」

地元から出てきたきっかけは、その当時、“旭富士”という、うちのお酒と同じ名前の相撲取りがいましてね、ちょうど1987年に横綱になったんですね。
それで、旭富士の地元の青森に行ったらうちのお酒が売れるだろうと思い、青森県の木造町という五所川原から山の方の街に酒を売りに行ったわけですよ。
これが当たり前ですけど、売れませんよね(笑)。
いくらなんでも名前が一緒だからって青森の人たちが山口の酒を飲むかというと飲まない。

で、結局そのまま夜行列車で青森の弘前から電車に乗って上野まで戻って来て、上野駅で大学の先輩のところを尋ねました。
そうしたら、たまたまご飯に行くことになり、神田の居酒屋で地酒をメインに扱う“いちの茶屋”というお店に連れて行ってもらいました。
そこで、「ここならうちの酒でも売ってもらえるんじゃないか」と閃きました。

その時に直接「うちのお酒を置いてください」とお願いしましたが、その年の酒はダメと言われて、売ってくれませんでした。
そして、翌年、もう一度チャレンジして、扱っていただけたのが東京進出の始まりです。

「最初は、それが東京の足がかりですか?」

そうです。
1990年頃の当時は、地酒の純米大吟醸酒というものがまだ本当に日本でも商品として確立してなかったんですね。
だけど、そのお店に行くと、地酒の純米大吟醸酒があるし、酒蔵との接点を持てるということで、一般のお客さんに加えて、夜は酒の卸屋さんも来ていました。
そこから小売屋さんとか卸屋さんを紹介していただいて東京市場が広がっていったといういうわけです。

「紹介で広がっていったんですね。東京で扱うお酒は“獺祭”だったんですか?」

いいえ。
ただ、純米酒や純米大吟醸は、家庭で飲まれるお酒としても売れると思ってましたし、マーケットもありそうだった。
そうすると“旭富士”だと、山口の地元のイメージが強いので、東京でこれからやっていくには正直厳しいな、と思ったんですね。
やっぱり商品と同じ方向を向かせなければいけない、と。

それで東京のマーケットに合わせて、“獺祭”と言う名前をひねり出しました。

「獺祭という名前は、どうやって生まれたんですか?」

地元の地名が「獺越(おそごえ)」と言うんですけども、その地名から1文字をとりました。
この“獺祭”という言葉は、正岡子規の俳号にもなってますし、司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説にも出てくるんです。

新しいお酒の名前を考えるのに、人の記憶にも残りやすいと感じてこの名前にしました。
名前を決める前に、地元の図書館の館長さんのところに行って、「“獺祭”ってどんな意味でしたかね」って質問をしたこともありましたね。
今だったら恐れ多くてとても付けられない名前ですね。

「すごいですね。そうやって獺祭が生まれて、旭富士はどうなったんですか?」

旭富士も併売を続けていましたが、獺祭の売上が伸びていきましたね。
で、旭富士の売上が落ちていって、結局、2003年ぐらいに完全に獺祭100%に移行した感じだったかな。

その頃は旭富士というのは、作り方は普通のアルコールを入れてコスト的に安い酒のはずだったんですけども、製造数量が下がってきたので製造単価がものすごく高くなってました。
それでも何年かは作り続けましたが、そのうち“やっぱりこれじゃやっていけない”、と言うことで造るのを止めたわけですね。

「“止める”と言うのも1つの決断でしたね。」

普通は、止めないですよね。地元のお客さんには、ずいぶん怒られました。

「俺たちは、そんな高い純米大吟醸酒とかは飲みたいと思っていないんだ」と。

「ずっとあんたの親の時代から旭富士を飲んできたんだから、なんで止めちゃうんだ」そんな反応がありましたね。

「親の代からのお客様を切り捨てることになるのは辛いですよね? 」

そうですよね。だから「地元で売れなかったから止めた」というのが一番大きな理由です。
そういう声が出るんだけど、現実的に売れるわけではないわけですからね。
声をあげるお客様の方も迫力に欠けるし、こっちも止めることができた、という事です。

 

「なるほど。主力商品が売れないという問題が、獺祭を生み出すチャンスになったわけですね。」

 

そうですね。

 
2018/8/30 インタビュー
インタビュアー:株式会社ピグマ すごい会議コーチ 太田智文、石田博士、五十嵐淑貴
代表 太田がインタビューに伺います。希望する方はご連絡ください。インタビューいただくと、2000人を超える経営者の方へ、インタビュー記事が配信されます。
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